陸軍造兵廠鷹来製造所西山分廠専用線跡

昭和初期に軍事都市として誕生した春日井、その春日井に数多くあった軍需鉄道のひとつを訪ねる。

起点、春日井駅から線路沿いに北へと進むと、草むした築堤が残っている。そこにはかつて、西山分廠へと向かう鉄道が走っていた。

この鉄道は、軍需品を運ぶ専用線でありながら、貨物列車以外に工員などを運ぶ気動車も走っていたという。駅から分岐する専用線でありながら、距離がある。

築堤の途切れるあたりに、橋台が残る。春日井駅付近では数少ない遺構の一つだ。

この小さな橋を過ぎると廃線跡は住宅街の道路となるが、鉄道らしい直線的な線形である。

鉄道は北上し、地蔵川を渡る。ここには鉄道時代の面影は全くない。

篠木付近。このあたりは築堤であったが、道路化によって取り壊されている。廃止後もしばらくは築堤が残っていたという。

篠木の立体交差地点の跡。この傾斜を克服するため築堤で高度を稼いだのだろう。

このまま廃線跡は篠木小学校を通り北上するが、ショッピングセンターのあたりでいったん消失する。

この田圃を横切っていたが、区画整理により廃線跡は消失している。

病院横から再び廃線跡が現れる。途中まで道路の歩道に転用されているが、国道155号がアンダークロスする場所のあたりは廃線跡が転用されずに残る。

歩道に転用されている廃線跡。

西山分廠があった高台への勾配が始まるあたりから、廃線跡が姿をあらわす。

国道155号がアンダークロスする場所にはプレートガーダー橋が残る。さびているような色だが、さび止め塗料の色にも見える。何かに転用されるのだろうか。このように廃止後60年以上も国道をまたぐ橋梁が撤去されずに残るのも珍しい。銘板などは、柵で囲まれているため、確認不能であった。

国道155号から春日井方面へ延びる築堤。今にも列車が走ってきそうな雰囲気を残している。

橋台と翼壁の様子。この時代では標準的なもので、現在の中央西線にも同じような翼壁が使われている。

この橋の先も西山分廠のあった自衛隊まで続いており、ほとんどが民家や道路に転用されている。つい最近まで当時の鉄道門が残っていたそうだが、新しいものに取り換えられていたので、残念である。かつてこの鉄道で運ばれたものを考えると、複雑な心境である。戦争遺産、近代遺産としてこれからも残していってほしいものである。